ネバダたんとは、佐世保事件の加害者・辻菜摘のこと!現在何してる?結婚や家族、インスタ、殺害の動機など

※本ページはプロモーションが含まれています

「ネバダたん」という愛称で知られる辻菜摘は、日本で広く報じられた佐世保小6女児同級生殺害事件の加害者です。

2004年に起きたこの事件は、国内外に衝撃を与えました。

辻菜摘は当時、小学6年生であり、その行動の背後には様々な要因があったとされています。

事件後、彼女は施設での生活を経て社会に戻り、名前を変更し新たな人生を歩み始めました。

本記事では、彼女の現在の生活、家族関係、さらにはインスタグラムの有無についても探ります。

また、事件の動機や背景、被害者の御手洗怜美さん生い立ちや遺族の今も解説しています。気になる方は最後まで読んでみてくださいね。

記事のポイント

  • ネバダたんは、現在、何してる?
  • なぜ辻菜摘はネバダたんと呼ばれるようになったのか?
  • 佐世保小6女児同級生殺害事件を時系列で解説
  • 辻菜摘の生い立ち、被害者との関係、遺族の今
目次

ネバダたんは、佐世保事件の犯人辻菜摘のこと:現在、何してる?特定は

引用元 X @mauias3rd_2014

ネバダたんとは、「佐世保小6女児同級生殺害事件」の犯人辻菜摘の別称です。

「佐世保小6女児同級生殺害事件」は、2004年6月1日に、当時小学6年生の辻菜摘が同級生である御手洗怜美さんの首や左手をカッターで切りつけ、殺害したという事件です。

事件からたった4年後の2008年には児童自立支援施設を出所し、現在は社会復帰を果たしています。

その後、ネット上ではコンスタントに辻菜摘さんの目撃情報や、SNSで発見したとの報告がありますが、実際のところはどうなのでしょうか?

ネバダたんこと辻菜摘は改名したのか?結婚は?インスタや、家族の事件後の状況について色々調べてみました。

現在の年齢は31歳:どこに住んでる?職業は?

ネバダたんは現在、2004年6月1日の時点で11歳だったので、現在2024年で31歳です。

事件後に施設に入って以降、遺族に対して手紙を書くことは1度も無かったようで、どこに住んで、どこで働いているのか?御手洗さんの遺族ですらわからないようです。

辻菜摘から改名:別人として生活している

ネバダたん、もしくは辻菜摘さんとして知られる人物は、過去の事件に関連して広く知られるようになりました。

彼女は事件後、名前を変え、新しい人生を歩み始めたとされています。

未成年だったために施設への送致が決定し、その後、法務省関係者との養子縁組を経て、彼女は自身の身元を保護するために名前を変更した可能性が高いです。

辻菜摘さんの現在の生活に関する情報は極めて限られており、彼女が長崎県で新しい身分で生活しているとの憶測がありますが、これは確証のない情報です。

彼女と名付けられた多くの写真がインターネット上に拡散されていますが、それらが本物であるかどうかは不明です。

一部では、彼女が結婚してさらに姓が変わったとも言われていますが、これもまた確かな情報とは言えません。

公的な記録に基づく情報が一切ないので、彼女の現在の名前に関する憶測は確認のしようがない状況です。

結婚して子供もできている?

色々ネットなどを調べてみましたが、ネバダだんが結婚しているといった情報を見つけることはできませんでした。

ネット社会の現代、たとえ名前を変えようとも身バレしてしまうようです。

一説では結婚して子供もいるといわれています。

ネバダたんは精神的に不安定のまま、期限が来て施設を出たという噂もあり、ネット上では「近くにいたら恐怖」「どこかにいるのが怖い」といった不安の声もあるようです。

なぜ辻菜摘はネバダたんと呼ばれるようになったのか?

引用元 アマゾン

ネバダたんは当時小学6年生であり、当然ながら個人に関する情報は公開されませんでしたが、事件が大きな注目を浴びたことで、ネットでは加害者の特定が行われました。

この事件がネット上で大きな注目を集めた際、彼女の特定の写真が拡散されました。

この拡散された写真には、「Nevada」と記された服を着ている彼女の姿があり、この特徴からネットユーザーたちが彼女を「ネバダたん」と呼ぶようになりました。

彼女が小学生だったことから、親しみを込めて「たん」という接尾語が付け加えられ、この愛称が定着しました。

この愛称は、事件の報道と共にネット上で広まり、今日に至るまで使われ続けています。

ちなみに、「サニー/32」は、辻菜摘がモデルになった作品ではないかともいわれています。

史上最も可愛い殺人者と言われたネバダたん:コスプレやイラストも

引用元 X @ONAKANIKUMAN

引用元 X @kimuraya

引用元 X 

「ネバダたん」は、インターネット上で特に注目を集める存在となりました。

彼女の事件に関連する衝撃的な内容と彼女の見た目のギャップが、ネットユーザーの間で大きな話題となったのです。

その結果、ネバダたんはキャラクター化され、多くのイラストやコスプレが生み出されました。

これらのイラストでは、彼女が特定の服装をしている様子が描かれることが多く、このような表現はネット上での彼女のイメージを強化しました。

しかし、このような表現が必ずしも事件の双方にとって良い影響をもたらしたわけではありません。

時代と共にネット上での認識も変化し、現在ではこのような表現が批判されることもあります。

辻菜摘のインスタはある?

辻菜摘さんがインスタグラムを利用しているかどうかについての確かな情報は見つかっていません。

ネット上では、彼女がSNSを利用しているのではないかという憶測がありますが、これらは確証のない噂に過ぎません。

また、Facebookに彼女のアカウントがあるという噂もありますが、これも本人であるかの確認はされていません。

彼女が改名したとされる可能性を考慮すると、本名を使用したSNSアカウントの存在は疑わしいと言えるでしょう。

事件後、ネバダたんの家族はどうなった?

ネバダたん(辻菜摘)の家族においても、この猟奇的な殺人事件は、大きなダメージを与えました。

彼女の姉は事件後に高校を中退し、母親は彼女が入っていた施設の近くに引っ越して頻繁に面会に訪れていたとされます。

しかし、辻菜摘さんが家族との再会に特別な喜びを示すことはなかったといわれています。

父親については、事件後もしばらくは実家に住んでいたものの、その後の消息は不明。

母親は栃木県に居住しているとの情報もありますが、これも定かではありません。

事件後、加害者のネバダたんをはじめ、加害者家族は一度も被害者家族に謝罪をしていないようです。

逃げるように長崎を離れ謝罪もないことから、SNS上では責任逃れだとかなり叩かれていたようです。

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ネバダたん(辻菜摘)が起こした、佐世保小6女児同級生殺害事件の概要

引用元 ウィキペディア

ネバダたんとして知られる辻菜摘が起こした佐世保小6女児同級生殺害事件は、2004年6月1日に佐世保市で発生しました。

この事件では、菜摘が同級生の御手洗怜美さんをカッターナイフで襲い、殺害しました。

この凄惨な事件は、日本全国に衝撃を与え、少年法の厳罰化の議論を引き起こすきっかけとなりました。

ネバダたんと被害者の関係

ネバダたん(辻菜摘)と被害者御手洗怜美さんの関係は、元々友好的だったものの、次第に菜摘が御手洗を敵視するようになりました。

これは、怜美さんが多くの友人に囲まれていたことに対する嫉妬や、感情のコントロールが難しい菜摘の心理状態が背景にあったのかもしれません。

徐々に怜美さんをライバル視し、敵意を抱くようになったとされています。

この複雑な関係性が、悲劇的な事件につながっていきました。

事件のきっかけとなった「おんぶ」エピソード

事件の発端となった「おんぶ」のエピソードは、菜摘と怜美さんの間の微妙な関係性を象徴しています。

ある日、遊び心で怜美さんがネバダたん(辻菜摘)をおんぶした際、彼女は「重い」と冗談めかして発言しました。

しかし、この言葉は彼女にとって大きな衝撃となり、「失礼しちゃうわ」と激怒するほどでした。

これが二人の間の溝を深め、結果的に悲劇的な事件へと繋がる原因となったとされています。

この些細なやり取りが、後に大きな悲劇始まりでした。

交換日記で2人の確執が深まる

交換日記を通じてのネバダたん(辻菜摘)と御手洗怜美さんの間の緊張関係は、特に「NEXT ◯◯」という表現を巡るやり取りによって高まりました。

菜摘がこの独自の署名方法を使い始めたことで、同級生たちもこれを真似するようになります。

しかし、彼女は他の人にこのスタイルを使用されることを望まず、グループに「真似しないで欲しい」と訴えました。

2004年5月初旬、この要求に対し、多くの友人らは「ごめんね」と自重しますが、玲美さんだけは、

「NEXTはみんなが使える表現ではないの? 絵文字ではないし、英語だからパクリではないような気がする。みんながやっていれば、当たり前になるのでは?」

引用:11歳少女はなぜ友人を殺めた? 「佐世保小6女児同級生殺害事件」と少年犯罪の現在 

この些細な意見の相違が、2人の関係をさらに悪化させる一因となりました。

コミュサイト「カフェスタ」で嫌がらせがエスカレート

友人グループ内で始めたコミュニケーションサイト「カフェスタ」と”交換日記”の中で、玲美さんとネバダたん(辻菜摘)の関係はさらに悪化していきます。

ある日、菜摘が玲美さんのアバターをカボチャに変更するなどのイタズラを開始。この小さないたずらが、両者の間に亀裂をさらに大きくしていきます。

それに対して玲美さんも負けじと、

「チッマタカヨ。なんでアバターが無くなったりHPがもとにもどっちゃってるケド、ドーセアノ人がやっているんだろぅ。フフ。 アノ人もこりないねぇ。(゜∀゜)ケケケ」

「荒らしにアッタんダ。マァ大体ダレがやってるかヮわかるケド。心当たりがあるならでてくればイイし。 ほっとけばいいや。ネ。 ミンナもこういう荒らしについて意見チョーダイvじゃまた今度更新しようカナ。」

引用:佐世保小6女児同級生殺害事件 – Wikipedia 

と投稿し、菜摘に対して”バレてるよ”と圧力をかけました。

玲美さんは彼女が背後にいると確信し、オンラインで反撃を開始しました。これが、オンライン上の攻防の火種となります。

菜摘はさらに一歩を進め、玲美さんのアカウントを初期化するという強硬な手段に出ました。

これに対して玲美さんも、彼女を「ぶりっ子」と公然と批判。

これに反撃するように、菜摘は玲美さんのアカウントへの侵入を続け、玲美さんのアカウントを完全に初期化しました。

このオンラインでの攻防で玲美さんは、心を痛め、長崎時代の友達や兄に手紙を書き、心の内を吐露します。

一方で、菜摘は玲美さんに対し殺意を募らせていったと思われます。

事件当日:給食の時間に御手洗さんを呼び出す

その日、学校の給食時間には静かな緊張が流れていました。

ネバダたん(辻菜摘)は、2時間目の休憩時間にメモを確認した後、給食の準備が始まると、被害者である御手洗玲美さんに「ちょっと来て」と声をかけました。

彼女は玲美さんを、教室から離れた場所にある学習ルームへと導きました。その時、教室の他の生徒たちは、二人の不在に気づかなかったようです。

菜摘は学習ルームに入ると、カーテンを閉め、部屋を暗くしました。そして、玲美さんに椅子に座るように指示しました。

この時、菜摘すでに、友人である玲美さんを殺害するという決意を固めていたのです。

事件の詳細:カッターナイフで切りつけた

ネバダたん(辻菜摘)は部屋のカーテンを閉め、御手洗玲美さんに椅子に座るように指示しました。

次の瞬間、辻菜摘は玲美さんの目を自分の手で覆い、突如として背後からカッターナイフで玲美さんの首に襲いかかりました。

玲美さんは椅子から立ち上がり、必死に抵抗しましたが、菜摘は容赦なく何度も切りつけ続けました。玲美さんが完全に動かなくなるまで、彼女の体を蹴り飛ばし、踏みつけ続けました。

玲美さんには首以外の手などの場所に抵抗した際についた傷もあり、 かなり深く執念深く切りつけたことが伺えます。

当日、加害女児は午前中の授業が終わった後、被害者を学習ルームに呼び出し、そこでカーテンを閉めて床に座らせ、手で目を隠し背後から首と左手をカッターナイフで切りつけ、失血死させた。

被害者の首の傷は深さ約10センチ(普通の大人の首の太さは直径で13 ~ 15cmぐらい)、長さ約10センチになり、左手の甲には、骨が見えるほど深い傷があったという。

引用:佐世保小6女児同級生殺害事件 – Wikipedia 

事件の衝撃的な事実は、その後明らかになります。

菜摘は事件の前日に放送されたテレビドラマ「ホステス探偵危機一髪」のあるシーンを真似て犯行に及んだことが判明しました。

このドラマは人気シリーズでしたが「佐世保小6女児同級生殺害事件」の影響で続編が出ることはありませんでした。

犯行からの15分:被害者が絶命するまで蹴り飛ばしたり踏みつけていた

犯行からの15分間、御手洗玲美さんが力尽きて倒れた後も、ネバダたん(辻菜摘)はすぐには学習ルームを去らなかったようです。

彼女は自分の手についた血をハンカチで丁寧に拭き取り、玲美さんがもはや動かないことを確かめるために、その顔をじっと覗き込み、身体に触れたりしていました。

このような行動を約15分間続けた後、彼女はようやく学習ルームを後にし、教室へと戻っていきました。

この間、教室では給食の準備が進められていましたが、やがて担任が二人の不在に気づきます。しかし、その時にはすでに手遅れで、玲美さんは悲惨な最期を遂げていました。

彼女のこの行動は、計画的かつ残忍な犯行であったことを示しています。

この事件は、その猟奇性と被害者の若さにより、日本全国に大きな衝撃を与えました。

後に、菜摘は「死ぬまで待って、バレないように教室に戻った」と供述し、犯行の隠蔽を試みていたことが明らかになりました。

この佐世保市の事件は、その後長い間、多くの人々の記憶に残る悲劇となりました。

教室に戻ったネバダたん

給食の時間が近づき、教室では準備が進められている中、担任教師は突如として廊下を駆け抜ける音に気がつきました。

その音の主、ネバダたん(辻菜摘)は、血に染まった服を着て、手には血のついたカッターナイフとハンカチを握りしめたまま、教室に戻ってきて、担任に助けを求めています。

廊下から走る音が聞こえ、加害者が返り血を浴びた服のまま入口にたたずんでいた。黙りこくる加害者の手にはカッターナイフと血で濡れたハンカチが握られていて、ズボンの裾は水に漬かったように濃さを増していた。

引用:佐世保小6女児同級生殺害事件 Wikipedia

彼女の表情は言葉を失っており、彼女はただ「私じゃない、私の血じゃない」と繰り返しました。

最初、担任は菜摘自身が怪我をしたのではないかと心配し、彼女の体を調べましたが、菜摘自身に怪我はありませんでした。

教師が何が起こったのか尋ねると、菜摘は学習ルームを指差しました。

担任の教師は、急いで学習ルームへ向かいました。

凄惨な現場の状況

担任の教師が学習ルームに向かうと、そこには玲美さんが血まみれで倒れており、彼女の首と左手には深刻な傷がありました。

「救急車を呼んで、怜美が死んじゃう」と言いながら、ネバダたん(辻菜摘)は自分が行ったことに対する恐れを露わにしていました。

この緊急事態に、担任はすぐに「救急車!」と叫び、怜美さんの止血を試みました。

その声を聞いた別の教師が、事の重大さを把握し、急ぎ職員室へと走り、教頭に状況を伝えました。

最初、教頭は信じられない出来事に戸惑いましたが、現場を目の当たりにしてすぐに119番通報し、怜美さんの父親にも連絡を取りました。

学習ルームの中は、返り血で壁にも血が飛び散っており、入り口付近にはカッターナイフの折れた刃が落ちていました。

怜美さんのメガネも机の上に放置されていました。担任は懸命に怜美さんを救おうとしましたが、状況はすでに深刻でした。

教頭が現場に駆けつけたのは12時43分、そして救急隊員は12時51分に学校に到着しましたが、怜美さんの状態を見て、彼女を病院へ搬送することは不可能であると判断しました。

その後、佐世保警察署に連絡が取られ、怜美さんの父親も12時59分にタクシーで到着しました。

警察の到着:事情聴取

警察が来るでの間、救急隊員は学校の教師たちに詳細を尋ね、事情を知っている可能性のあるネバダたん(辻菜摘)を尋ねました。

菜摘は冷静に「私がカッターで切った」と答え、この事件が単なる事故ではなく、計画的な殺人であることが明らかになりました。

警察が到着し、校長室で約40分の事情聴取をしたところ、菜摘は以下のような供述をしたようです。

  • 「土曜日に殺そうと準備した」
  • 「(運動会の代休の)月曜日に殺そうとしたけれど、バレると思って今日(火曜)にした」
  • 「死ぬまで待って、バレないように教室に戻った」
  • 「千枚通しで刺すか、首を絞めるか迷ったけど、もっと確実なカッターナイフにした」
  • 「左手で目隠しをして切った」

その後、警察は菜摘を佐世保警察署に連れて行き、さらに詳しい事情聴取を行いました。

これと並行して、学校では午後2時から、6年生の児童を除く全生徒に対して事情聴取が行われ、この作業は午後6時頃に終了しました。

その後、保護者が到着し、6年生も下校が許可されました。

菜摘は佐世保警察署に車で移動し、午後7時頃まで任意で事情聴取を受けました。

警察の発表と被害者の父親の記者会見

その悲劇の日、夕方が近づくと、事件の事実が世間に公表されました。

警察は午後8時30分にプレスリリースを行い、小学校で発生した同級生間の殺人事件という衝撃的なニュースを伝えました。この発表は、公共の安寧を大きく揺るがすものでした。

このニュースが流れると、同日の午後9時頃、被害者である御手洗怜美さんの父親は、深い悲しみの中、記者会見を開催しました。彼の言葉は、悲劇の重みを改めて感じさせるものでした。

一方、事情聴取を受けた加害者の菜摘は、その後、午後10時30分頃に警察署内の女性職員休憩室で就寝しました。

この日の出来事は、給食時間から始まり、わずか9時間ほどで繰り広げられたものでした。

当時の学校の対応はひどかった

その悲劇的な事件の後、被害者の兄である中学生の次男が、妹が通っていた長崎県佐世保市立大久保小学校に急いで駆けつけました。

しかし、彼が学校に到着した際に受けた対応は冷淡で、彼が事件の詳細を尋ねると、「そんなことを考える必要はない」というような答えが返ってきたと言われています。

さらに、事件後に行われたPTAを含む緊急会見では、担当の女性教員の対応について質問が出された際、校長は「教員が嘘を言っているとでもいうのですか?子供は記憶が曖昧なんだ」と答えました。

この校長の発言と全体的な対応の仕方が原因で、学校は地域社会から大きな批判を受けることになりました。

少年裁判:児童自立支援施設に送致される

引用元 こども家庭庁

2004年6月1日に起きた衝撃的な事件の後、長崎家庭裁判所は6月8日にネバダたん(辻菜摘)の少年審判開催を決定しました。

その1週間後、6月14日に長崎少年鑑別所で開かれた出張審判では、少年事件においては珍しく精神鑑定を実施することが決まりました。

この鑑定留置は8月14日までの61日間に及びました。

加害者である菜摘は、両親が被害者の遺族へ向けて書いた手紙を聞いた際に、「どのように謝ればいいのか」と涙を流していたと伝えられています。

8月24日には少年審判の意見陳述が行われ、鑑定留置期間はさらに1か月延長され、9月14日までとなりました。

精神鑑定の結果、菜摘は情緒的な面で同世代に比べて著しい遅れがあるものの、障害として分類されるほどではないとされました。

9月15日には長崎家庭裁判所で最後の少年審判が行われ、菜摘は児童自立支援施設送致とされました。

これにより、最長2年間の保護処分が決定され、彼女の自由は制限されました。

翌日、菜摘は長崎空港から飛行機で栃木県の国立きぬ川学院へと移送されました。

この施設では2004年9月(12歳)から3年半を問題なく過ごし、2008年3月(16歳)に退所しました。

事件当時小学6年生だった菜摘は逮捕されず、この施設での生活を経て社会に復帰したことが知られています。

ネバダたん(辻菜摘)の生い立ち:被害者との関係、出版物も

引用元 ウィキペディア

ネバダたん(辻菜摘)は、長崎県佐世保市の山間部にある集落で、祖母、両親、姉と共に暮らしていました。彼女の家は大久保小学校からは少し離れた場所にありました。

1995年頃の出来事が、家族の暮らしに変化をもたらしました。

当時、生命保険会社に勤めていた父親が脳梗塞で倒れ、一時は重い病状に陥りました。

この危機的な状況の中、母親はパートタイムの仕事に出て家計を支え、家族は困難を乗り越えました。

父親は家にいる時間が長くなり、教育に対して熱心で厳しい躾を行っていたと言われていますが、虐待の形跡は確認されていません。

リハビリを経て徐々に回復し、社会復帰を果たした父親は、その後自宅で保険代理店を営みながら、おしぼり配達のアルバイトにも従事していました。

これにより、家族が経済的に困窮することはなかったようです。

山間部で孤独生活!遊ぶ友達がいなかった?!

ネバダたん(辻菜摘)は、長崎県の静かな山間部、弓張岳の近くに位置する自宅で育ちました。

この地域は家が少なく、同年代の子供たちもまばらで、菜摘さんには近所で一緒に遊べる友達がいませんでした。

このため、同世代の子供たちとの日常的な交流やいざこざを経験する機会がほとんどなかったのです。

家族と過ごす時間が多かった菜摘は、その結果、同年代の子供たちとのコミュニケーション能力が十分に育っていなかったようです。

友達との適切な距離感や、トラブル時の解決スキルに欠けていたことが指摘されています。

また、菜摘の家は佐世保市内にあったものの、人里離れた場所に位置しており、彼女は大久保小学校へ通うために路線バスを利用していました。

このバスは運行本数が少ない赤字路線で、日中の数本しかないため、放課後にクラスメイトと遊ぶ機会も限られていました。

心配性の父親からは、帰りのバスに遅れないようにと常に注意されていたそうです。

こうした環境の中で育った菜摘は、孤立していたわけではありませんが、親友と呼べるような友達はいなかったとされています。

特技はパソコンでオカルト趣味にハマる

引用元 ヤフー知恵袋

ネバダたん(辻菜摘)は、長崎県佐世保市立大久保小学校へ通うために、一時間に一本しかないバス路線を利用していました。

この限られた交通手段のため、放課後に友達と遊ぶことはほとんどなく、急いで家に帰るのが日常でした。

孤独な日々を送る中で、彼女の父親は辻菜摘さんにパソコンを与えました。

パソコンに魅了された菜摘は、インターネットの世界に没頭し始め、特にオカルト系のサイトに興味を持ちました。

パソコンでホームページを作るなど、デジタルスキルを磨きながら、オンライン上の様々なコンテンツに熱中するようになります。

父親のリハビリと復職により、家庭内でも寂しい時間が増え、彼女はますますパソコンの世界に引き込まれていきました。

菜摘はこの時期、絵やアニメも好む典型的なインドア派の少女へと変化していきます。

その後の悲劇的な事件では、彼女がオンラインで身につけた知識や趣味が犯行に影響を与えたとされています。

特に被害者への犯行方法がテレビドラマの真似事である点や、ネット上の書き込みが事件の発端となったことは、彼女が過ごした孤独なインターネット生活と深く関連していると考えられています。

内向的で自己主張が苦手な一面も…

ネバダたん(辻菜摘)は、日本の少年犯罪史に残る悲惨な事件を起こしましたが、彼女に関する周囲の評価は多面的です。

5年生の時の担任教師は、彼女の人となりについて、「素直な笑顔」を持ち、「暗い印象はなかった」と述べています。教師は、彼女が犯罪を犯すような特異な性格を持っていたわけではないと見ていました。

「あの子の素直な笑顔と、事件が重ならない。(略)感情の起伏はあったんですが、すぐにカッとする子というのはほかにもいました。『この子だからやった』という話ではないと思うんです」

「居場所がないということもない。暗いという印象もなかったんです」(『謝るなら、いつでもおいで』集英社/川名壮志著)

引用:11歳少女はなぜ友人を殺めた? 「佐世保小6女児同級生殺害事件」と少年犯罪の現在 

一方で、事件後に菜摘に面談した児童相談所の職員は、「ごく普通の女の子で、成績も良く、頑張り屋」と評しています。

しかし、彼らはまた、菜摘が自分の感情をうまく表現できず、自己主張に苦手意識を持っていたとも指摘しています。

事件後、A子に面談し会見を開いた児童相談所は「ごく普通の女の子。ごく普通の家庭に育っている。成績もよく、頑張り屋」だと語っている。

一方で、「ごく普通ではあるが、自分をうまく表現できず、自己主張が弱い子どもだ」とも。

引用:11歳少女はなぜ友人を殺めた? 「佐世保小6女児同級生殺害事件」と少年犯罪の現在 

この内向的な性格は、彼女の自宅が人里離れた場所にあったことや、他の子供たちとの関わりが少なかったことが影響している可能性があります。

バスケットで成績が落ちたこともあったものの、基本的には真面目で優秀な生徒だったとされています。

事件後の弁護士との会話でも、「1人で悩んで、1人で考えていた」というように、彼女自身が自分の思いを内に秘めていたことがうかがえます。

児童相談所の所長や教育委員会の会長が開いた記者会見では、面談の印象として彼女が「ごく普通の女の子」であったことが再確認されました。

ネット上では自己主張が強かった

ネバダたん(辻菜摘)は、児童相談所の職員によると、内向的で自己主張が苦手な少女として知られていました。

しかし、ネットの世界では、彼女の性格は180度異なっていたようです。

オンライン上では、攻撃的で、自己主張が非常に強い一面を見せていました。

菜摘のブログからは、そのような彼女の異なる一面がはっきりと伝わってきます。

彼女はブログ上で、自分のクラスメイトへの不満を率直に吐露し、彼らを批判する言葉を遠慮なく投稿していました。以下は、彼女のブログからの引用です。

「ヒッマだぁぁぁぁぁぁぁ〜><

しかもアイス食べたから寒い><

さっむ! ひっま!

ぁ〜暇暇暇暇」

「つーか私のクラスうざってー。

エロい事考えてご飯に鼻血垂らすわ、

下品な愚民や

失礼でマナーを守っていない奴や

喧嘩売ってきて買ったら『ごめん』とか言って謝るヘタレや

高慢でジコマンなブスや

カマトト女しったか男

ごく一部は良いコなんだけど大半が汚れすぎ

寝言言ってんか?って感じ

顔洗えよ」

引用:11歳少女はなぜ友人を殺めた? 「佐世保小6女児同級生殺害事件」と少年犯罪の現在 

この時期、彼女はミニバスケ部を親によって一方的に辞めさせられ、余った時間を持て余していました。

その結果、クラスメイトへの不満をブログ上で吐露するようになったのです。

彼女のオンラインでの表現は、現実世界の彼女とは大きく異なっており、彼女の内面に潜む葛藤や不安を反映していた可能性があります。

ミニバスケットボール部に所属

引用元 楽天市場

2003年、ネバダたん(辻菜摘)は地元の小学校のミニバスケチームに入団しました。

内向的な性格の彼女にとって、このスポーツは同級生との交流の場となり、彼女の生活に新たな活力をもたらしたようです。

チームに入る条件は成績の維持であり、辻菜摘さんは真面目にその条件を守っていました。

しかし、2004年になると、彼女の母親は成績不振を理由に菜摘をミニバスケチームから強制的に退部させました。

この退部は彼女の行動に大きな変化をもたらし、学校での彼女の行動は目立つようになりました。

かつての静かな少女は、やんちゃな行動を取り始め、他の生徒とのトラブルも増えたようです。

この時期、彼女はチームのレギュラークラスには選ばれませんでしたが、それまで以上に活発になっていました。

しかし、退部を巡っての家庭内の争いは特になかったものの、辻菜摘さん自身がどれほどその退部を不満に思っていたかは明らかです。

退部後の行動の変化は、彼女が抱えていた不満の表れだったのかもしれません。

このように、ミニバスケチームでの活動は菜摘にとって大切なものであり、それを奪われたことが、後の彼女の行動に影響を与えた可能性があります。

学級崩壊!授業中の居眠りと暴力が過激すぎた

佐世保小6女児同級生殺害事件の加害者、ネバダたん(辻菜摘)が通っていたクラスは、学級崩壊の状態に近かったと言われています。

このクラスでは、女性教師が担当していたにも関わらず、授業中に生徒が居眠りをしたり、教室を出歩いたりするなど、非常に混乱していました。

この混沌とした環境の中で、辻菜摘さん自身も、担任の女性教師に対して暴力を振るうなど、問題行動を起こしていたことが伝えられています。

後に、担任の教師は、このような状況に対して力不足だったとし、いじめの問題についても把握していなかったと述べています。

事件当日、給食の準備中に20分間も菜摘と被害者である御手洗怜美さんが教室にいなかったことに誰も気づかなかったのは、この乱れた学級環境が一因であった可能性が高いです。

教室の秩序が保たれていなかったため、生徒たちの行動に対する注意が薄れ、重大な事件につながってしまったのかもしれません。

韓国が好きだった

著作者:qalebstudio/出典:Freepik

ネバダたん(辻菜摘)に関する事件は、インターネットだけでなくテレビのニュースでも頻繁に取り上げられていました。

この報道の中で、彼女が描いたイラストが公開され、その中にはハングル文字が添えられている女性の絵が含まれていました。

2004年当時、韓国のアイドルや文化が流行するのはまだこれからでしたが、彼女が韓国文化に興味を持っていたことは確かなようです。

このことから、彼女の両親が韓国出身ではないかという噂が一時的に流れました。

しかし、この時期は「冬のソナタ」に代表される韓流ブームが始まっており、韓国文化に興味を抱くのは自然なことでした。

菜摘が韓国文化や言語に関心を持っていたことは、当時の流行に影響を受けた一面と考えられます。

映画「バトル・ロワイヤル」を何度も見ていた

引用元 アマゾン

ネバダたん(辻菜摘)は、映画「バトル・ロワイヤル」に非常に興味を持っていたと言われています。

この映画は彼女が繰り返しレンタルショップで借りて観ていたものでしたが、R-15指定のため、彼女自身の会員証では借りることができませんでした。

そのため、彼女は姉の会員証を使用して映画を借りていたとされています。

「バトル・ロワイヤル」に含まれる残虐なシーンが、彼女が起こした事件に影響を与えたのではないかと考える声もあるようです。

確かに、幼い子供にこのような内容の映画を観せることは推奨されることではありませんが、一つの映画が大きな事件の直接的な原因となるとは考えにくいです。

また、当時はインターネットが普及しており、もし彼女が残虐性や暴力性に興味があれば、より過激な内容をオンラインで見ることも不思議ではありません。

しかし、菜摘がホラー小説に興味があったことは知られていますが、過激な残虐性や暴力性に特に興味があったという情報はありません。

発達障害があった?

ネバダたん(辻菜摘)は、自立支援施設において発達障害の診断を受けていました。

この事実が明らかになると、一部では彼女の行動や犯罪にこの発達障害が影響したのではないかと考える声が上がりました。

しかし、診断された発達障害は軽度のもので、通常の判断能力に影響を及ぼすほどではなかったとされています。

さらに、菜摘はクラブ活動に参加しており、友人たちと交換日記を行っていたことから、彼女が普通の社会的交流を持っていたことも知られています。

このため、「発達障害は誤診ではないか」との意見も存在します。

彼女が弁護士との会話でしっかりと返答できていたことから、彼女に対して「精神鑑定は不要」との判断も下されています。

結局のところ、彼女の発達障害が事件に直接的な影響を与えたとは考えにくい状況です。

このように、彼女の発達障害が事件に大きく影響したとする見解は、実際のところは支持されていないようです。

佐世保事件の被害者・御手洗怜美さんについて

父・恭二毎日新聞長崎支局に勤務
長男徳島大学在学中
次男詳細不明
玲美さん佐世保市立大久保小学校在学
母親・直美2001年頃に癌で死去

2002年、御手洗怜美さんの家族は長崎市から佐世保市へ引っ越してきました。

彼女の母親である直美さんは、引っ越しの前年、2001年に5年間の闘病の末にがんで亡くなっています。

このため、御手洗家は父親、2人の兄、そして怜美さんの4人家族で、主に父子家庭のような環境で生活していました。

怜美さんの父親である御手洗恭二さんは、毎日新聞社佐世保支局長として勤務しており、彼らの自宅は佐世保支局の3階部分にありました。

当時、長男は徳島大学に通っていたため家を離れており、家には中学3年生だった次男と父親、怜美さんの3人が暮らしていました。

御手洗家では、母親の直美さんが亡くなって以降、父の恭二さんが家事全般を担い、食事の支度などを行っていたようです。

母親を早くに亡くした怜美さんは、このような家庭環境の中で成長していました。

父親の勤務先・毎日新聞社佐世保支局の3階に住んでいた

御手洗怜美さんが住んでいたのは、父親が勤務する毎日新聞社佐世保支局の3階建てのビルでした。

このビルは小規模な事業所であり、2階がオフィススペース、3階が御手洗家の住居となっていました。

父親は社内で人望が厚く、しばしば同僚を自宅に招いて食事を共にするなど、家族と社員は非常に親しい関係にありました。

怜美さんはその明るく人懐っこい性格で、社員たちからもまるで我が子のように可愛がられていました。

小規模でアットホームな佐世保支局では、怜美さんは学校から帰るといつも2階の事務所に顔を出し、社員たちと交流していたそうです。

支局で働くスタッフとは家族のような関係で、時には3階の御手洗家で一緒に食事をすることもあったと言われています。

このように、怜美さんは菜摘とは対照的に、明るく、多くの人に愛される子供であったと言えるでしょう。

御手洗怜美は明るい性格で友達が多かった

御手洗怜美さんは、転校生であったにも関わらず、その明るく活発な性格がクラスメートに好かれ、すぐに多くの友達に囲まれるようになりました。

彼女はすぐにクラスに溶け込み、親しみを込めて「みたっち」という愛称で呼ばれるほどでした。

友達を自宅に招いてお菓子を作ったり、一緒に遊んだりすることが多かった御手洗怜美さんは、コミュニケーション能力が高く、クラスの中心的存在だったようです。

しかし、彼女が小さな喧嘩やいじめがきっかけで命を落とすとは、誰も想像していなかったことでしょう。

御手洗怜美の遺族の現在。父も兄も後悔。本の出版やメディアのインタビュー

引用元 X @ogasawarajun

佐世保小6女児同級生殺害事件の衝撃の後、被害者である御手洗怜美さんの家族は深い悲しみと共に生活していました。

事件当時、中学生だった次男と父親は、メディアの前でその当時の辛い経験を語っています。

父親は事件を知った時のショックから自殺を考えるほどの精神的苦痛を抱えていたようです。

次男は、妹の怜美さんがいじめに遭っていることを知り、アドバイスをしていましたが、その後自分の助言が間違っていたのではないかと深く悩んでいたと言われています。

事件後、家族はメディアに追われる日々を送り、家に閉じこもりがちでした。

父親である御手洗恭二さんは、つらい状況の中で一時的に仕事を休職し、その後福岡に転任することになりました。

彼は佐世保を去る前に、最後のコラムを執筆し、その中で事件に触れ、怜美さんが受け取るはずだった卒業証書を代わりに受け取ったことを綴りました。

兄は事件直前に妹から相談されていた

御手洗怜美さんの家族には2人の兄がいましたが、長男は徳島大学で学んでおり、一緒に住んでいなかったので、次男が妹と特に親しい関係にありました。

実は、悲劇が起こる直前の5月30日頃に、怜美さんは次男に友人関係の悩みを相談していました。

当時中学3年生だった次男は、事件が起きた日に担任から急に呼び出され、Yahoo!ニュースの記事のコピーを渡され事件を知りました。

相談された相手が辻菜摘であることをすぐに理解したそうです。

次男は辻菜摘さんと面識があり、彼女が家に遊びに来た際には「話しやすい子」という印象を持っていました。

運動会の時には、ビデオカメラを構えている彼の後ろでいたずらをされたこともあったと言います。

この近しい関係において、直前に妹から相談を受けていたことから、次男は「もっと何かできたのではないか」と長年後悔の念を抱いています。

彼は事件の翌年、2005年に高校に進学しましたが、妹への罪悪感から精神的な不安定さに苦しみ、保健室登校を余儀なくされ、留年の危機にも直面しました。

高校卒業後、九州の大学へ進学した次男は、現在は社会人として働いていますが、妹に対する罪悪感に今も苦しんでいるようです。

遺族の思いを代弁:書籍『謝るなら、いつでもおいで 』2018年出版

引用元 謝るなら、いつでもおいで

事件の加害者であるネバダたん(辻菜摘)は、事件後に施設に入ってから、被害者の遺族に対して一度も手紙を書くことはありませんでした。

この事実について、被害者の次男は彼女の行動に対し次のようにコメントしています。

「もし彼女が謝罪に来るのなら、会うのが怖いという感情は僕にはない。

きちんと会うべきだと思う。僕も相手も、対等な関係で。

自分のしたことを全く理解できていない当時に謝られても、どう思えばいいか分からないけれど、自分がやったことが分かっているはずの今、きちんと謝ってほしい。

その方が、スッキリする。

逆に、施設から出た後に、会わせられる状態にないというのなら、それは国が再教育に失敗したんだってぐらいに僕は思っています」

引用元 謝るなら、いつでもおいで

彼は、施設を出た後でも良いから、菜摘が謝罪に来てほしいと願っていました。しかし、菜摘は施設を出た後も遺族に会いに行くことはなく、「本当に反省しているのか?」という疑問が残ります。

被害者の父親の直属の部下であった毎日新聞記者の川名壮志さんは、2018年に『謝るなら、いつでもおいで 佐世保小六女児同級生殺害事件』という書籍を出版しました。

この書名は、被害者の兄の強い想いが反映されており、「謝るならいつでもおいで」という題名が選ばれました。

本の出版は加害者へのアプローチとして期待されましたが、2018年から2024年現在に至るまで、菜摘が謝罪のために遺族を訪れることはありませんでした。

追跡!「佐世保小六女児同級生殺害事件」(草薙厚子 ・著)2005年出版

引用元 アマゾン

「私が本書を書くきっかけとなったのは、
少女が”普通の子”という言い方で世間に伝えられたことへの強い違和感だった。
その違和感を出発点にして、この事件の3つの「なぜ」を追及する取材が始まった。
一つ目は私が感じた違和感の理由を探ること。
二つ目はどうしてこのような不幸な事件が起きたのか、その要因を探ること。
そして三つめが、このような事件を防ぐにはどうしたらいいかを知ることだった。」

(エピローグより)引用

著者の草薙厚子氏は、元法務省東京少年鑑別所法務教官で、退官後は地方局アナウンサーなどの職を経て、フリージャーナリストになった人です。

ネバダたんとは、佐世保事件の加害者・辻菜摘のこと!現在何してる?まとめ

ネバダたんは、2004年6月1日に佐世保市立大久保小学校で発生した佐世保小6女児同級生殺害事件の加害者、辻菜摘の通称です。

事件当時、加害者の情報は公開されていませんでしたが、インターネット上での特定により、彼女の身元が明らかになりました。

ネバダたん(辻菜摘)は2008年に社会復帰し、その後名前を変えて新たな生活を始めているとされています。

しかしながら、この残忍で衝撃的な事件の記録は、裁判所の不手際により廃棄されてしまい、記録のない事件となってしまいました。

地域社会や学校では、この事件が風化しないように努力を続けているようです。

2004年のこの悲劇的な事件について、被害者と加害者の関係、事件の概要と犯行動機、そして事件のその後と加害者の現在についての情報がまとめられています。

事件についての報告は、ネバダたん(辻菜摘)がいつか自身の犯した罪と真摯に向き合い、被害者である御手洗怜美さんの家族に謝罪し、彼女の仏前で手を合わせる日が来ることを願っています。

そして、御手洗怜美さんのご冥福を心よりお祈り致します。

  • ネバダたんは佐世保小6女児同級生殺害事件の加害者、辻菜摘の別名
  • 事件は2004年6月1日に発生し、辻菜摘は当時小学6年生だった
  • 辻菜摘は2008年に少年施設を出所し、社会に復帰
  • 現在の居場所や個人情報はほとんど不明
  • 事件後に名前を変更し、新たな人生をスタート
  • 「ネバダたん」という愛称は、彼女が「Nevada」と書かれたトレーナーを着ていたから
  • 辻菜摘と被害者の関係は当初良好だったが次第に悪化
  • おんぶをめぐる些細な出来事が関係の悪化に寄与
  • 交換日記やオンラインでのやり取りを通じて対立がエスカレート
  • 辻菜摘の行動は家庭環境や同級生との関係など複数の要因に影響された
  • 事件後の精神状態や発達に関する問題が議論された
  • 事件は日本における少年犯罪と法的対応に関する議論を引き起こした

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