木之内みどりの現在|芸能界引退後は何をしている?

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木之内みどりは、1970年代に女優・歌手として活躍した元アイドルです。

1978年に21歳で芸能界を引退して以降、メディアにはほとんど姿を見せていません。

本記事では、木之内みどりの現在の状況、結婚・家族に関する公表情報、デビューから引退までの経歴を整理してお伝えします。

  • 1978年に芸能界を引退後、現在まで一切復帰していない
  • 1990年に俳優・竹中直人と再婚し、現在も婚姻関係にある
  • 子供は1男1女(長女は2017年に結婚)。職業などは非公表
  • メディア露出はなく、現在は一般人として生活しているとされる
目次

木之内みどりの現在|今は何をしている?

引用元 アマゾン

木之内みどりは1978年の引退以降、芸能活動を行っていません。

メディアへの露出もほぼない状態が40年以上続いています。

現在の生活は公表されている?

木之内みどりの現在の生活について、本人からの公式な発表はありません。

引退後、マスコミの突撃取材を受けた際も、帽子を深くかぶって顔を出さない姿勢を貫いてきました。

1990年の再婚時にインターホン越しに記者の質問に応じた記録は残っています。

しかし、それ以降の私生活については一切公表されていません。

現在の情報が少ないのは、本人が一貫してプライバシーを守り続けているためです。

芸能界を引退した理由

木之内みどりは1978年9月、作曲家・後藤次利との交際報道をきっかけに引退しました。

経緯は以下のとおりです。

  • 1978年9月11日、女性週刊誌の記者に後藤次利との関係を撮影される
  • 木之内は「日本にはいられない」と判断し、後藤とともにアメリカへ渡航
  • 所属事務所・浅井企画が説得を試みるも、木之内は帰国・復帰を拒否
  • 9月14日、本人不在のまま引退会見が行われた

引退の直接的な理由は、交際発覚による騒動から逃れるためでした。

なお、後藤次利は当時別の女性と婚姻関係にあり、この交際は批判を受けました。

現在も芸能活動はしているのか

木之内みどりは引退以降、芸能活動を一切行っていません。

1990年の再婚報道の際、記者から復帰の意思を問われました。

木之内は「昔いろいろあったから、こうして出会えた。それを大切にしていきたい」と述べ、復帰を明確に否定しています。

なお、引退後はカメラマンとして活動していた時期があります。

元マネージャーの証言によれば、浅井企画所属タレントの宣材写真を撮影していたそうです。

木之内みどりの結婚・家族について

木之内みどりは2度の結婚歴があります。

1度目は作曲家・後藤次利、2度目は俳優・竹中直人です。

木之内みどりに結婚歴はある?

引用元 abematimes

1度目の結婚:後藤次利

  • 1983年に結婚
  • 1987年に離婚

後藤次利との結婚は、1978年の駆け落ち騒動から数年を経て成立しました。

離婚の詳細な理由は公表されていません。

ただし、後藤次利が当時19歳だった歌手・堀ちえみとの密会を報じられた時期と重なっています。

2度目の結婚:竹中直人

  • 1990年1月26日に婚姻届を提出
  • 現在も婚姻関係にある

竹中直人との出会いは1989年、スペインでの偶然の再会がきっかけでした。

竹中は劇団青年座の舞台公演「写楽考」でスペインに滞在していました。

木之内も仕事で同地を訪れており、偶然出会ったのです。

竹中はもともと木之内のファンだったとされています。

緊張のあまり、お気に入りの喫茶店への道を1時間も迷ったというエピソードも残っています。

その後、ニューヨークへ仕事で向かった木之内を竹中が追いかけました。

婚姻届を持参してプロポーズするという、情熱的な行動でした。

入籍発表時の記者会見で、竹中は「結婚して初めて家庭で味噌汁を飲んだ」と語りました。

木之内も「過去にいろいろあったから、今の出会いがある」とコメントしています。

木之内みどりに子供はいるのか?

木之内みどりと竹中直人の間には、1男1女がいます。

  • 長女:1992年生まれ
  • 長男:1998年生まれ

長女については、2017年に一般男性と結婚したことを竹中直人が公表しました。

竹中は当時、喜びのコメントを発表しています。

子供たちの職業や現在の生活については、公式には発表されていません。

本記事では確認できない情報は記載しません。

プライベートが語られない理由

木之内みどりがプライベートを公表しない理由について、本人からの説明はありません。

ただし、1978年の引退が交際報道をきっかけとした騒動によるものでした。

引退後もマスコミの取材を一貫して避けてきた経緯があります。

私生活を守りたいという強い意思があると考えられます。

1990年の再婚報道後も、顔を出さずに取材に応じるなど、露出を最小限に抑える姿勢を維持しています。

木之内みどりの経歴|デビューから引退まで

木之内みどりは、1974年にデビューしました。

1978年に引退するまでの約4年間、歌手・女優として活動しています。

短期間ながら、複数の代表作を残した点が特徴です。

基本プロフィール

項目内容
本名木之内みどり
生年月日1957年6月10日
出身地北海道小樽市
身長163cm(1976年当時)
血液型O型

9人兄妹の末っ子として生まれました。

小樽市立朝里中学校を卒業後、上京して明治大学付属中野高等学校に進学しています。

デビューのきっかけ

1972年、15歳のとき、日本テレビ「サンデー・ヒットパレード」内の「ミス・ティーン・コンテスト」に応募しました。結果は準優勝でしたが、この出場が転機となります。

作詞家・阿久悠が木之内に注目したのです。阿久悠は木之内について、次のように評価したとされています。

「彼女を見ていると年頃のはじらいという、今では死語になった言葉を思い出す」

「最近の少女にしては何かを持っている」

当時の芸能界を代表する作詞家からの高い評価でした。

この言葉が、木之内の上京と歌手デビューにつながっています。

1973年、16歳で小樽市から上京しました。翌1974年5月10日、シングル「めざめ」で歌手デビューを果たしています。

女優・歌手としての活動

歌手活動

1974年のデビューから引退までに13枚のシングルと8枚のアルバムをリリースしました。

シングルの売上は当初伸び悩んでいます。

しかし、1978年2月発売の11枚目のシングル「横浜いれぶん」がオリコン最高28位を記録しました。

これが初のヒット曲となっています。

興味深いのは、レコード売上とは別の人気指標です。

木之内のブロマイド売上は非常に好調でした。

ブロマイドは当時、アイドル人気を測る重要な指標のひとつでした。

売上ランキングでは、山口百恵や桜田淳子を上回る時期もあったとされています。

歌手としての商業的成功は限定的でしたが、ビジュアル面での人気は圧倒的だったのです。

女優活動

1976年にテレビドラマ「私も燃えている」で女優デビューしました。

同年、脚本家・倉本聰の指名により「前略おふくろ様2」に出演しています。

倉本聰からの直接指名は、女優としての資質を認められた証拠です。

当時すでに名脚本家として知られていた倉本が、新人の木之内を指名したことは業界内で注目されました。

1977年には以下の作品に出演しています。

  • 「B円を阻止せよ! 〜もう一つの占領秘話」
  • 「悪妻行進曲」
  • 「すぐやる一家青春記」
  • 「刑事犬カール」(主演)
  • 「まひる野」

特に「刑事犬カール」(TBS系、1977年9月〜1978年6月放送)では主演を務めました。

約9ヶ月間の長期放送となり、女優としての評価を確立しています。

映画「野球狂の詩」への抜擢

1977年公開の映画「野球狂の詩」でヒロイン・水原勇気役に抜擢されました。

この抜擢には特別な経緯があります。

原作者・水島新司が木之内を直接希望したのです。

オーディションには2526人が応募しました。

その中から木之内が選ばれたのは、原作者自身の強い推薦があったためです。

水島新司という漫画界の巨匠からの指名は、木之内の女優としての適性を示すものでした。

この作品により、女優としての知名度が大きく上昇しています。

引退に至った経緯

1978年、歌手活動で初のヒット曲「横浜いれぶん」を出しました。

続く「無鉄砲」「一匹狼(ローン・ウルフ)」とロック路線の楽曲を制作していた時期です。

キャリアとしては上昇期にありました。

しかし、この時期に後藤次利との交際が発覚します。

9月11日に記者に発見され、その日のうちに後藤とともにアメリカへ出発しました。

所属事務所は説得を試みましたが、木之内は「芸能界を引退したい」という意思を変えませんでした。

9月14日、13枚目のシングル「一匹狼(ローン・ウルフ)」の発売直前に、本人不在のまま引退会見が行われています。

帰国後には謝罪会見が開かれました。

木之内は「すべて自分がいけなかった」と述べています。

木之内みどりの代表作と当時の評価

木之内みどりの芸能活動期間は約4年と短いものでした。

しかし、複数の代表作を残しています。

短期間で評価された理由を、作品ごとに見ていきます。

女優として評価された作品

映画「野球狂の詩」(1977年)

水島新司の人気漫画を実写化した作品です。

木之内は主人公・水原勇気を演じました。

女性初のプロ野球選手という設定のキャラクターです。

原作者・水島新司が直接木之内を希望したことで、この抜擢が実現しました。

原作ファンからの評価も高く、女優としての代表作となっています。

原作者という第三者からの高い評価が、木之内の女優としての実力を証明しています。

テレビドラマ「刑事犬カール」(1977年〜1978年)

TBS系で約9ヶ月間放送された刑事ドラマです。木之内は主演の高杉洋子役を務めました。

警察犬カール(ジャーマンシェパード)との共演が話題となり、視聴者からの支持を得ています。

長期放送を主演として務め上げたことは、女優としての安定した演技力を示すものでした。

テレビドラマ「前略おふくろ様2」(1976年)

脚本家・倉本聰が木之内を直接指名したことで出演が決まった作品です。

倉本聰は「北の国から」などで知られる名脚本家です。

そのような人物が新人の木之内を指名したことは、業界内で高い評価を受けていた証拠といえます。

歌手としての活動と楽曲

木之内みどりがリリースしたシングルは全13枚です。代表曲を紹介します。

「横浜いれぶん」(1978年2月)

11枚目のシングルで、オリコン最高28位を記録した初のヒット曲です。

ロック色の強い楽曲で、従来の「はかなげなアイドル」というイメージからの転換を図りました。

ジャケット写真はフランスの歌手ジェーン・バーキンを意識して制作されています。

白いブラウス姿で視線を落とす表情が採用されました。大人の魅力を打ち出す戦略が功を奏した作品です。

「硝子坂」(アルバム収録曲、1977年)

シングルとしてはリリースされませんでしたが、同名アルバムに収録された楽曲です。

のちに高田みづえがデビューシングルとしてカバーし、31万枚を売り上げる大ヒットを記録しました。

木之内版を先に聴いていたファンからは、「優しく語りかけるような歌声が魅力的」との評価があります。

木之内がシングルとしてリリースしていれば、違った結果になった可能性も指摘されています。

発表したシングル曲13枚

1.めざめ

2.あした悪魔になあれ

3.ほほ染めて

4.おやすみなさい

5.学生通り

6.グッドフィーリング

7.東京メルヘン

8.ジュ・テーム

9.イマージュ

10.走れ風のように

11.横浜いれぶん

12.無鉄砲

13.一匹狼(ローン・ウルフ) 

発表したアルバム8枚

  • あした悪魔になあれ(1974年10月10日)
  • 十八歳の今(1975年12月21日)
  • 透明のスケッチ(1976年5月25日)
  • グッド・フィーリング(1976年9月25日)
  • 硝子坂(1977年2月25日)
  • ジュ・テーム(1977年7月25日)
  • 横浜いれぶん(1978年3月25日)
  • 苦いルージュ(1978年7月25日)

木之内みどりが歌う『硝子坂』

硝子坂:木之内みどりバージョン

『硝子坂』と聞くと多くの方が高田みづえさんの名を思い浮かべるかもしれませんが、実はこの楽曲を最初に歌ったのは木之内みどりさんでした。

この曲はシングルとしてではなく、同名のアルバム『硝子坂』に収録されたため、木之内さんのファン以外にはあまり知られていないかもしれません。

このアルバムが発売されたわずか1ヶ月後には、高田みづえさんによる『硝子坂』がデビューシングルとしてリリースされ、大ヒットを記録しました。

もし木之内さんが『硝子坂』をシングル曲として発売していたら、彼女の芸能生活の道筋も変わっていた可能性があります。

しかし、高田みづえさんの『硝子坂』が大ヒットしたのは、彼女の個性が大きく影響しているとも考えられます。

それでも、木之内さんの『硝子坂』を聞き比べてみると、その歌唱は決して劣るものではありません。

木之内さんのバージョンは、優しく語りかけるような、ささやくような甘い歌声が特徴で、聴く人に心地よさをもたらします。

この曲を作曲した宇崎竜童さんは、このアルバムに『硝子坂』以外にも5曲を提供しており、木之内さんに何か特別な感じるものがあったのかもしれません。

高田みづえが歌う『硝子坂』

硝子坂:高田みづえバージョン

高田みづえさんによる『硝子坂』のデビューシングルは、音楽業界において顕著な成功を収めました。

この楽曲は発売されてからたった1ヶ月半で31万枚という驚異的なセールスを記録し、見事オリコンチャートのトップ10にランクインしました。

『硝子坂』は、高田みづえさんの多くのシングルの中でも特に印象深い楽曲として広く認知されています。

特に、『私はピアノ』と並んで、彼女のキャリアを代表する曲の一つとされています。

高田みづえさんの『硝子坂』は、そのメロディラインや歌詞の美しさ、そして彼女の独特な歌声によって、多くの音楽ファンから愛され続けています。

この楽曲の大ヒットは、彼女の音楽業界における地位を確立する重要なステップとなり、彼女の長い音楽キャリアの中で、いつまでも色褪せない名曲として記憶されています。

長山洋子が歌う『硝子坂』

硝子坂:長山洋子バージョン

長山洋子さんが歌う『硝子坂』は、彼女のクセのないしっかりとした歌唱で、聴き手に深い印象を残します。

また、竹中直人さんと木之内みどりさんの結婚会見での発言が、長山洋子さんの『硝子坂』を聴くと理解できる瞬間です。

竹中さんは結婚会見で「自分がボロボロになるくらい弱いところを出せる」と述べ、二人が映画館に行くような夫婦でいたいと語っていました。

この言葉は、彼の人生における深い愛情と誠実さを表しており、現在もその精神を実践していることが想像されます。

『硝子坂』は、由紀さおりさんや荒木由美子さんなど、他の多くのアーティストにも歌われていますが、長山洋子さんのバージョンは、その独特の歌唱スタイルにより、特別な存在感を放っています。

彼女の透明感のある声と、曲の持つメロディの美しさが相まって、リスナーに心地よい音楽体験を提供しています。

たった1冊の写真集

木之内みどりさんに関連する写真集を調査したところ、驚くべきことに、彼女の写真集はたった1冊だけがヒットしました。

これは、彼女の芸能活動期間が4年と比較的短かったことにも関わらず、意外な結果です。

特に、木之内さんのブロマイドは当時非常に人気があり、その人気を鑑みれば、写真集も市場で十分受け入れられるはずでした。

しかし、時代背景の違いや、当時の出版業界の状況、または彼女自身の意向など、写真集が少ない理由は様々に考えられます。

木之内さんが活躍した時代は、今日と比べてメディアや出版の形態が大きく異なっており、写真集が現代ほど一般的ではなかった可能性もあります。

また、彼女自身がプライバシーを重視し、積極的に写真集の出版を望まなかったのかもしれません。

なぜ木之内みどりは今も語られるのか

木之内みどりは、わずか4年の芸能活動で引退しました。それから40年以上が経過しています。それでも「木之内みどり 現在」という検索が続く理由を考えます。

第一に、第三者からの高い評価です。

作詞家・阿久悠、脚本家・倉本聰、漫画家・水島新司という、各分野の第一人者から評価されました。

短い活動期間でこれだけの評価を得た点は特筆に値します。

第二に、鮮烈な引退劇です。

人気上昇期に突然引退したことで、「全盛期の姿」のまま記憶に残りました。

その後メディアに一切出ないことで、イメージが固定されています。

第三に、竹中直人という現役俳優との結婚です。

竹中直人が現在も第一線で活躍していることで、木之内みどりへの関心が持続しています。

木之内みどりは、昭和芸能史における特異な存在といえます。

短期間で評価を確立し、自らの意思で退いた人物として、今後も語り継がれていくでしょう。

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