ゴールデンボンバーは2004年に日本のヴィジュアル系エアーバンドとして結成されたバンドで、独特の音楽性とステージパフォーマンスで知られています。
彼らの音楽は、単なる楽曲以上のものをファンに提供し、多くの支持を集めてきました。しかし、その華やかなステージの裏では、メンバーたちの私生活に関する様々な不祥事や噂が絶えませんでした。
これらの噂の中には、特にメンバーの歌広場淳さんと鬼龍院翔さんに関するものが多く、一部では彼らの死亡説まで流れることとなりました。
このような噂が広まるきっかけの一つとして、メンバーたちのプライベートに関する報道が挙げられます。
この記事では、そんな彼らの過去の不祥事、黒い噂の詳細、そして現在の活動状況について詳しく掘り下げていきます。
記事のポイント
- ゴールデンボンバーのメンバーが死亡の噂の真偽
- ゴールデンボンバーの不祥事を詳しく解説!
- ゴールデンボンバーの軌跡:デビューから現在まで
- メンバーのプロフィール
ゴールデンボンバーのメンバーが死亡のうわさが流れた背景は?
ゴールデンボンバーといえば、日本の人気ヴィジュアル系エアーバンドで、笑撃のライブパフォーマンスと、奇才・鬼龍院翔の創り出すクオリティーの高い楽曲で注目を集めています。
ゴールデンボンバーのメンバーに関する死亡の噂が流れたのは、一部の不祥事とメディアの報道によるものです。
特に、鬼龍院翔さんと歌広場淳さんについての様々な噂がインターネット上で広まったことで、「ゴールデンボンバーのメンバーが死亡」のキーワードが拡散していったようです。
歌広場淳さんが死亡したという噂の真相
2021年11月、ゴールデンボンバーの歌広場淳さんに関する不倫報道が『週刊文春』で取り上げられ、これを受けて彼は公に謝罪し、一時的な活動自粛を発表しました。
この自粛の発表が、ファンやメディアの間でさまざまな憶測を呼び、誤って「歌広場さんの死亡説」が流れるきっかけとなりました。
しかし、この噂は根拠のないもので、彼は2022年12月25日の公演からライブ活動を再開することが公式サイトで発表されており、現在も活動を続けています。
鬼龍院翔さんが死亡したという噂の真相
引用元 https://www.pinterest.jp/
鬼龍院翔さんの「死亡」という衝撃的な噂は、2021年9月に週刊文春による「二股交際」報道が発端でした。
このスキャンダルが公になった直後、鬼龍院さんはニコニコ生放送やブログを通じて謝罪を行いました。
しかし、同時期にバンドメンバーの歌広場淳さんも不倫報道で注目を集め、結果的にゴールデンボンバーとしてのメディア露出が大幅に減少しました。
この露出減少が、鬼龍院さんに関する根拠のない死亡説を生み出すきっかけとなったのです。
公共メディアでの突然の姿消しは、ファンの間で様々な憶測を呼び、「鬼龍院さんが死亡」といった噂に繋がったようです。
ゴールデンボンバーの不祥事、黒い噂を詳しく解説!
この「ゴールデンボンバーのメンバーが死亡」といったうわさが流れる原因となったゴールデンボンバーのメンバーの不祥事、黒い噂について、もう少し詳細に解説していきたいと思います。
歌広場淳さんの不倫・中絶報道について
ゴールデンボンバーのベーシスト、歌広場淳さんの不倫・中絶騒動は、芸能界に大きな衝撃を与えました。
彼は飲み会で知り合った20代の女性Aさんと不倫関係に陥り、その後、Aさんが妊娠する事態に。
当初は結婚を考えていたようですが、結果的に中絶を迫ったことが報道されました。
ゲス不倫が発覚し、活動自粛を発表していた中で、浮気相手が他に6人もいたことを発売中の週刊文春に報じられました。
そして、この報道を機に「えっ、私も彼女でした」と手を挙げる女性が続々、6人にのぼったというから驚きですね。
浮気相手の女性にはメイド喫茶勤務または元メイド出身者という共通項もあったようで、の騒動には多くのファンがショックを受け、人気低迷のきっかけとなりました。
鬼龍院翔さんの二股騒動について
引用元 YouTube
ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんの二股騒動は、2018年に浮上しました。彼は10年以上の付き合いのある女性友人との関係が週刊誌によって報じられ、その結果、ファンや公衆の間で大きな話題となりました。
『週刊文春』でこの記事が出た際、ネット上では「裏切られた気分だ」との声が多数上がりました。
鬼龍院さんはこの事態に、公式ブログやニコニコ生放送で「難しいとこなんですけどね、『本当にそうなるんだな』って事例も常にあるんですね」
と“言いたいこと”はあるようですが、「ひっくるめて私の責任でございます。ファンの方を心配させたのは事実」と苦々しい表情のまま自身の非を認めています。
「ファンの皆さんを傷つけてしまいました。申し訳ないです」という彼の謝罪の言葉は、一部のファンからは受け入れられるものの、別のファンからは「もっと真剣に向き合うべきだ」という厳しいコメントも見られました。
また今後も応援を続けてくれるファンへ向け、「こんなことがあってもついてきてくれる人たちに、一生かけてパフォーマンスや音楽で返していかなきゃいけない」と思いを語っていました。
ゴールデンボンバーの軌跡:デビューから現在まで
引用元 ウィキペディア
ゴールデンボンバーは、2004年に結成された日本のバンドで、特に「エアーバンド」というスタイルで知られています。
彼らは、多くのヒット曲を生み出し、そのユニークなパフォーマンスで高い人気を博しました。バンドはデビュー以来、多くのアルバムをリリースし、様々な音楽イベントやテレビ番組に出演しています。
彼らの結成~現在までの軌跡をたどってみましょう。
「ゴールデンボンバー」を結成
ゴールデンボンバーの結成は、2004年末に鬼龍院翔と喜矢武豊を中心にスタートしました。
バンド名のインスピレーションは、たまたまテーブル上にあった缶コーヒー「ゴールドラッシュ」から生まれたエピソードがあります。
結成当初は実際に楽器演奏を行っていましたが、音楽の方向性についてのメンバー間の意見の不一致が生じ、一時的に解散することに。
しかし、その後喜矢武の説得により、二人でバンドを再始動させ、以降は独特のエアーバンドスタイルを確立しました。
この時期に新たに加わったメンバーの影響もあり、彼らのパフォーマンススタイルが徐々に形成されていったのです。
ヴィジュアル系バンドへ転向
ゴールデンボンバーがヴィジュアル系バンドへと変貌を遂げたのは、鬼龍院翔さんが別のヴィジュアル系バンドで活動を希望し、これに喜矢武豊さんも意外にも参加を希望したことから始まります。
二人は目黒鹿鳴館でのライブに出演し、Vagu-Projectのパフォーマンスに衝撃を受け、ヴィジュアル系の世界での活動を決定しました。
この時期から、演奏の当て振りや演奏前の前フリなど、彼らの特徴的なパフォーマンススタイルが形成されていきました。
この新しい方向性は、ゴールデンボンバーのステージスタイルに大きな影響を与え、バンドの特色を際立たせる要因となりました。
メンバーの入れ替わり、歌広場淳が加入
ゴールデンボンバーは、その結成以来、メンバーの変更が何度かありました。
特に注目すべきは2007年です。血祭鉄兵の脱退後にサポートメンバーとして天空城団吉が加わり、その後まもなくして歌広場淳が正式メンバーとしてバンドに加入しました。
歌広場淳の加入は、バンドの音楽性とスタイルに新たな影響を与え、ゴールデンボンバーのさらなる進化を促しました。
メンバー変遷は、バンドの歴史の中で重要な転機となり、その後の活動に大きな影響を与えています。
ユークリッドエージェンシーからデビュー
ゴールデンボンバーのキャリアは2008年、tatsuoの紹介でユークリッドエージェンシーとの契約から大きく動き始めました。
当初、エアバンドという独特のスタイルが理解されず、メディア出演出に対して多くの拒否反応を受けました。
しかし、彼らは諦めず、口コミを重要なプロモーション戦略として採用しました。2008年5月から9月にかけて、毎月新しいシングルをリリースし、その知名度を徐々に高めていきました。
特に、「抱きしめてシュヴァルツ」、「元カレ殺ス」、「トラウマキャバ嬢」といった楽曲は、バンドの特色を際立たせました。
彼らはライブ会場限定でCDを500円で販売し、ワンマンライブを開催するなど、独自の方法でファン層を広げていきました。
このCDには、コスト削減のために簡素な包装が施されていたものの、動画を収録することで視聴者の興味を引きつける戦略を取りました。
全国ツアーを開催
ゴールデンボンバーは、事務所の強力な宣伝サポートを受けて全国ツアーを開催しました。
このツアーは、バンドの知名度を飛躍的に高めるキッカケとなりました。
また、彼らはインターネットを駆使したプロモーションを展開。
動画サイトに連続ドラマ形式の告知を配信し、メンバー個人のブログや鬼龍院翔による動画制作などを通じて、若い世代を中心に大きな人気を集めました。
エアーバンドという特異なスタイルからヴィジュアル系雑誌には掲載されず、47都道府県ツアーをワゴン車で回る独自のアプローチを採り、ライブ活動を通じてファン層を拡大しました。
2009年4月、樽美酒が加入
2009年はゴールデンボンバーにとって重要な転機の年でした。
年初にリリースされたコンセプト・ミニ・アルバム「イミテイション・ゴールド〜金爆の名曲二番搾り〜」に続き、4月には天空城団吉が脱退しました。
その直後の4月10日には樽美酒研二が新たに加入し、バンドのメンバー構成が再び固まりました。
シングル『女々しくて』をリリース
引用元 アマゾン
ゴールデンボンバーは、2009年に映画『剃り残した夏』のサウンドトラックを発売しました。
続いて同年11月には彼らの代表曲となるシングル「女々しくて」をリリース。
当初はオリコンランキング77位に達するも、バンドの認知度やCDの売り上げはまだ低い状態でした。
2010年にはベスト・アルバムを発売し、HIBUYA-AXでの公演やメジャーレーベルからのオファーを受けるなど、着実に注目を集めるようになりました。
特筆すべきは、dwango.jpでの楽曲独占配信が12か月連続で1位を達成し、彼らの人気が急速に高まったことです。
2011年に紅白歌合戦出演
2011年はゴールデンボンバーにとって躍進の年となりました。
9月には『ミュージックステーション』への初出演を果たし、「女々しくて」を披露。これによりバンドの認知度は一気に上昇しました。
同年、彼らの担当となった石森洋の戦略により、テレビ番組出演やメディアリリースを通じて彼らの存在感は増していきます。
特に、「ものまね王座決定戦」でのオリエンタルラジオとの共演が話題を呼び、「女々しくて」は各ランキングで首位を獲得。
大晦日には第63回NHK紅白歌合戦への出演を実現しました。
この年は、学園祭でのパフォーマンスや冠番組『金爆一家』の放送も行い、新たなファン層を獲得するきっかけとなりました。
『女々しくて』がJASRAC賞・金賞を受賞
2014年、彼らの代表曲『女々しくて』がインディーズ作品としては初めてJASRAC賞・金賞を受賞し、バンドの音楽性が高く評価されたことを示しています。
同年12月には、鬼龍院翔が『第56回日本レコード大賞』で作曲賞を受賞し、バンドの才能がさらに認められました。
また、この年から翌年にかけて『ゴールデン名曲劇場~木曜に金爆~』という番組が放映され、ゴールデンボンバーの魅力が広く伝えられました。
ゴールデンボンバーの多彩な音楽活動:2014年~現在まで
2014年以降、ゴールデンボンバーは音楽活動を大きく拡大しました。
2015年には体臭付きカードを添えたユニークなCD「死 ん だ 妻 に 似 て い る」を発売。
同年、「ノーミュージック・ノーウエポン」のリリースでオリコンアルバムランキング首位を獲得。
2016年、シングル「水商売をやめてくれないか」でオリコンチャートTOP5入りを達成し、独自のファンクラブツアーや大規模フェスへの出演で注目を集めました。
また、LINEMUSICスタンプによるアルバムリリースや、ユニークなプロモーション活動を展開。
2018年にはミュージックビデオ経由で楽曲のQRコードダウンロードを実施するなど、常に斬新な試みを行っています。
2020年には各メンバーが歌唱する曲を収録したシングルをリリースし、オリコンチャートで高い成績を記録。
2022年には新曲「マリアの肝臓」のプロモーションで、メンバー自ら運転する宣伝カーを用いた24時間生配信を行いました。
2023年2月8日には、ニューアルバム「COMPACT DISC」をリリース。2024年4月より「ゴールデンボンバー全国ツアー2024」を全国16箇所20公演を予定しているようです。
記事参照元 ウィキペディア、ゴールデンボンバー Official WebSite
ゴールデンボンバー:メンバーのプロフィール
鬼龍院 翔(きりゅういん しょう )vocal
鬼龍院翔(きりゅういん しょう、1984年6月20日(39歳) は、身長164cmで血液型B型の日本のミュージシャンです。
ヴィジュアル系エアーバンド・ゴールデンボンバーでボーカルを担当しており、作詞、作曲、編曲も手がける多才なアーティストです。
彼はギター、ベース、ドラム、ピアノ、ヴァイオリンなど、様々な楽器を演奏することができます。
また、ライブ演出や演劇の脚本、ステージ構成も自ら手掛けるなど、その芸術性は幅広い分野に及んでいます。『第56回日本レコード大賞』で作曲賞を受賞したことも、彼の才能を示しています。
喜矢武 豊(きゃん ゆたか )guitar
喜矢武豊(きゃんゆたか)は、1985年3月15日生まれのヴィジュアル系エアーバンド「ゴールデンボンバー」のギタリストであり、俳優としても活躍しています。
彼はTBSの『SASUKE』にも常連選手として出演しており、血液型はB型で、身長は166センチメートルです。
出身は、東京都板橋区、中学や高校時代には野球部に所属していました。
喜矢武豊はゴールデンボンバーのライブやテレビ出演時に、独自の「ギターソロ」パフォーマンスを披露しています。
これには溶接の免許を取得するなどの特技を活かし、毛髪に墨汁を付けて書初めの筆に扮したり、ライブ中に焼肉を焼くなど、ユニークで目を引くパフォーマンスを行っていることで知られています。
歌広場 淳(うたひろば じゅん )Bass
歌広場淳は、1985年8月30日生まれ、千葉県出身のヴィジュアル系エアーバンド・ゴールデンボンバーのベーシストです。
血液型O型、身長174cmの彼は、2007年4月22日にゴールデンボンバーに加入しました。
彼の芸名はカラオケボックスの店名「歌広場」から命名され、愛称として「うぱ」、「じゅんじゅん」、「うたひろさん」などがあります。
彼のライブでのベースギターは、通常の弦よりも少ない3本や2本、場合によってはタコ糸を使用するなどのユニークな演出が特徴です。
また、ゴールデンボンバーの楽曲の振り付けと煽りを主に担当しており、バンドのパフォーマンスにおいて重要な役割を果たしています。
樽美酒 研二(だるびっしゅ けんじ )drum
樽美酒研二は、1980年11月28日生まれのゴールデンボンバーのドラマーです。
身長181cm、血液型A型の彼は、2009年4月10日にバンドに加入しました。
芸名は有名な野球選手ダルビッシュ有にちなんでいます。
愛称は「研二」、「研二さん」など。樽美酒の特徴は、実際にドラムを叩かず、完全なエアドラムを行うスタイルです。
彼のドラムスティックはスポンジ製で、演出において独特な役割を担っています。
ゴールデンボンバーのメンバーが死亡のうわさが流れた背景は?黒い噂まとめ
- ゴールデンボンバーは日本の人気ヴィジュアル系エアーバンド
- メンバーに関する死亡の噂はメディアの報道によるもの
- 鬼龍院翔さんと歌広場淳さんの様々な噂がネット上で広まり「メンバーが死亡」というキーワードが拡散
- 歌広場淳さんの死亡説は、不倫報道後の活動自粛発表が誤解を招いた
- 歌広場淳さんはライブ活動を再開し、現在も活動中
- 鬼龍院翔さんの死亡説は、「二股交際」報道後のメディア露出減少が原因
- 鬼龍院さんに関する死亡説は根拠のないもの
- 歌広場淳さんの不倫・中絶報道が大きな衝撃を与えた
- 鬼龍院翔さんの二股騒動がファンや公衆の間で大きな話題に
- ゴールデンボンバーの軌跡は2004年の結成から現在まで続いている
- メンバーの入れ替わりや音楽活動の変遷がバンドの歴史に影響を与えている
- ゴールデンボンバーはユークリッドエージェンシーからデビューし、独自のプロモーション戦略を展開