【二階級特進とは?】自衛官と警察官の29事例を紹介:取り消されたケースも

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時々、ニュースで「二階級特進」という言葉を聞くことがありますが、普通のサラリーマンだと聞きなれない言葉だと思います。

日本は安全な国ですが、命の危険と隣り合わせの職業があります。

例えば、災害や有事の際に派遣される自衛隊、日々の生活の安全を守る警察官、海の安全を守る海上保安官、火災現場で炎に飛び込んでいく消防士など。

「二階級特進」とは、こういった命がけで日々我々の生活を守ってくれている公務員が殉職した場合に、在職階級から二段階昇任させる制度または慣行のことです。

この記事では、 今までに自衛官や警察官が二階級特進した29事例を時系列でまとめています。またイレギュラーなケースとして、二階級特進が取り消されたケースも紹介。

他には、二階級特進の起源と外国における二階級特進に類似する制度も解説しています。

この記事を読むことで、

  • 「二階級特進」の具体的な29の事例
  • 「二階級特進」のイレギュラーなケース
  • 「二階級特進」の起源について
  • 海外における「二階級特進」に類似する制度

について詳しく理解することができます。

二階級特進について???と疑問がある方、興味がある方は、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。

目次

二階級特進が行われた29事例を紹介

殉職による特進は日本だけの制度ではありませんが、故人への顕彰としては、昇進予定だったり、生前の功績を称えて勲章を贈ることはあるものの、二階級特進は日本独自の制度とも言えます。

これは、日本の公務員制度が、職務上での犠牲に対する敬意と補償を重視していることを示しています。災害時以外は、各自の職業があるので、名前は原則として公表されないようです。

ここからは、自衛官と警察官で二階級特進した29事例を紹介していきます。

自衛官の二階級特進:4つの事例

自衛官が二階級特進した4つの事例です。

自衛隊には階級があり、全部で16階級定められています。自衛官の階級が分からない方は、こちらにリンクを貼っておきますので、確認してください。

防衛省 自衛官の階級

朝霞自衛官殺害事件

朝霞(あさか)自衛官殺害事件とは、1971年(昭和46年)8月21日に、東京都練馬区・埼玉県朝霞市・和光市・新座市にまたがる陸上自衛隊朝霞駐屯地で警衛任務中の自衛官が新左翼によって殺害されたテロ事件です。

(陸上自衛隊朝霞駐屯地警衛勤務歩哨係)陸士長→2等陸曹

T-33A入間川墜落事故

T-33A入間川墜落事故は、1999年(平成11年)11月22日に発生した航空機墜落事故。

(航空自衛隊入間基地)2等空佐→空将補
(航空自衛隊入間基地)3等空佐→1等空佐

2018年本白根山噴火

2018年1月23日、群馬県にある草津白根山の「本白根山」で噴火が起き、噴石により自衛隊員1人が死亡したほか、スキー客など11人が重軽傷を負いました。

(陸上自衛隊第12旅団第12ヘリコプター隊)陸曹長→3等陸尉

日野基本射撃場発砲事件

日野基本射撃場発砲事件は、2023年(令和5年)6月14日の午前9時8分頃に岐阜県岐阜市にある陸上自衛隊の日野基本射撃場で自衛官候補生が自衛官3人に向けて自動小銃を発砲し、2人が死亡した事件です。

(陸上自衛隊第35普通科連隊) 1等陸曹→陸曹長
(陸上自衛隊第35普通科連隊) 3等陸曹→2等陸曹

参照元 ウィキペディア

警察官の二階級特進:25の事例

警察官が二階級特進した事例です。

警察官の階級は巡査から警視総監まで9つの階級で形成されています。

下から、巡査→巡査部長→警部補→警部→警視→警視正→警視長→警視監→警視総監

巡査と巡査部長の間に巡査長という階級がありますが、これは正式階級ではない名誉階級で勤務態度の良好な人に与えられる役職です。

引用元 職業データベース 

外山警部補殺害事件

川内署太平橋派出所の外山輝宣巡査が強盗犯人を追跡中に殺害されたもので、鹿児島県警察学校では「体を張って市民に尽くす警察官の原点」として代々語り継がれているようです。

(鹿児島県警察川内警察署太平橋交番)巡査→警部補

日大紛争

日大紛争(にちだいふんそう)は、1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて続いた日本大学における大学紛争のことです。

(警視庁第五機動隊員)巡査部長→警部

岡山大学紛争

岡山大学における大学闘争の事件。4月12日に警察による現場検証の際に、全共闘系学生らと衝突が起こり、小隊伝令兼記録係であった26歳の巡査が死亡しました。

(岡山県警察機動隊員)巡査→警部補

東峰十字路事件

東峰十字路事件は、新東京国際空港建設予定地内の空港反対派が所有する土地に対して千葉県が行った第二次行政代執行初日の1971年(昭和46年)9月16日、後方警備に派遣されていた神奈川県警察特別機動隊が極左暴力集団等による襲撃を受け、警察官3人が殺害され殉職した傷害致死事件です。

(神奈川県警察機動隊第1中隊第1小隊長)警部補→警視
(神奈川県警察機動隊第1中隊第1分隊長)巡査部長→警部
(神奈川県警察機動隊第1中隊員)巡査→警部補

沖縄ゼネスト警察官殺害事件

沖縄ゼネスト警察官殺害事件とは、1971年11月10日にアメリカ占領下の沖縄の浦添市で発生した、沖縄返還協定に反対する示威行進の中で警備中の警察官が殺害された事件です。

(琉球警察機動隊員)巡査部長→警部

渋谷暴動事件

渋谷暴動事件は、1971年(昭和46年)11月14日(日曜日)に東京都渋谷区で発生した革命的共産主義者同盟全国委員会による暴動事件。暴動鎮圧に当たっていた新潟県警察機動隊員1名が火炎瓶の襲撃を受けて殉職しました。

(関東管区機動隊新潟中央小隊)巡査→警部補

あさま山荘事件

あさま山荘事件または浅間山荘事件は、1972年(昭和47年)2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器製作所(本社・静岡県浜松市)の保養所「浅間山荘」において連合赤軍の残党が人質をとって立てこもった事件です。

(警視庁第二機動隊長)警視→警視長
(警視庁特科車両隊中隊長)警部→警視正

東村山署警察官殺害事件

東村山署警察官殺害事件は、1976年(昭和51年)10月18日に東京都東村山市萩山町で発生した強盗殺人事件です。

「住宅資金を得るために大物政治家の家族を誘拐して身代金を奪おう」と考えた男Tが、その誘拐計画に用いるための警察手帳・拳銃を強奪するため、警視庁東村山警察署の「八坂派出所」で勤務していた男性警察官(巡査部長・当時55歳)を襲撃して殺害しました。

(警視庁東村山警察署)巡査部長→警部

三菱銀行人質事件

三菱銀行人質事件は、1979年(昭和54年)1月26日に三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男が押し入り、客と行員30人以上を人質にした銀行強盗および人質・猟奇殺人事件です。

(大阪府警察住吉警察署)警部補→警視
(大阪府警察阿倍野警察署)巡査→警部補

南長崎6丁目警察官殺害事件

南長崎6丁目警察官殺害事件は、1984年(昭和59年)7月10日に東京都豊島区南長崎六丁目で発生した殺人・公務執行妨害事件。警視庁が2014年に行った「みんなで選ぶ警視庁140年の重大事件」では54位に選出され、目白署警察官殺害事件とも呼ばれています。

(警視庁目白警察署警ら課)巡査→警部補

京都・大阪連続強盗殺人事件

京都・大阪連続強盗殺人事件は、1984年(昭和59年)9月4日に京都府京都市北区と大阪府大阪市都島区で発生した2件の連続強盗殺人事件です。

(京都府警察西陣警察署)巡査→警部補

中村橋派出所警官殺害事件

中村橋派出所警官殺害事件は、1989年(平成元年)5月16日未明に東京都練馬区中村北で発生した強盗殺人・公務執行妨害・銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)違反事件です。

(警視庁練馬警察署中村橋派出所)巡査→警部補
(警視庁練馬警察署中村橋派出所)巡査部長→警部

警視庁独身寮爆破事件

警視庁独身寮爆破事件とは、1990年(平成2年)11月1日から2日にかけて東京都で発生した爆弾テロ事件。有力な情報が得られないまま捜査は難航し、2005年(平成17年)11月に公訴時効が成立し、未解決事件となりました。

(警視庁新宿警察署)巡査→警部補

東村山警察署旭が丘派出所警察官殺害事件

東村山警察署旭が丘派出所警察官殺害事件とは、1992年(平成4年)2月14日に東京都清瀬市で発生した殺人、拳銃強奪事件。別名清瀬市警察官殺害事件。2007年2月14日に公訴時効を迎え、未解決事件となっています。

(警視庁東村山警察署旭が丘派出所)巡査長→警部補

カンボジアPKO派遣文民警察官・高田晴行

1993年(平成5年)5月4日、カンボジアPKO(国連平和維持活動)に派遣されていた日本人警察官五人が乗った車両が銃撃され、岡山県警の高田晴行警視(享年三十三歳)が死亡、四人が重軽傷を負った事件です。

(岡山県警察本部)警部補→警視

高知白バイ衝突死事故

高知白バイ衝突死事故は、2006年3月3日に高知県吾川郡春野町弘岡中(現在の高知市春野町弘岡中)で発生した白バイ警察官の死亡事故です。

(高知県警察交通機動隊)巡査長→警部補

踏切で線路内に侵入した女性を救出

2007年2月6日19時30分ごろ、当駅ホームのすぐ脇にある踏切に自殺志願者の女性が侵入しているとの通報を受け、警視庁板橋警察署常盤台交番の警視庁巡査部長が交番に保護しました。

しかし、女性は隙を見て交番から逃げ出し、再び踏切に侵入。巡査部長がこれを救助しようとして女性をホーム下の退避スペースに押し込んだものの、巡査部長自身は間に合わず、列車にはねられて死亡した事故。

(警視庁板橋警察署) 巡査部長→警部

愛知長久手町立てこもり発砲事件

愛知長久手町立てこもり発砲事件は、2007年(平成19年)5月17日から5月18日にかけ、愛知県愛知郡長久手町(現:長久手市)で被疑者の男が元妻を人質に取って民家に立てこもった事件。発生から解決まで約29時間に及び、愛知県警察の警察官1人が殉職、男の妻子と警察官1人が負傷しました。

(愛知県警察SAT)巡査部長→警部

東日本大震災

2011年(平成23年)3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震、およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害です。

(岩手県警察大船渡警察署高田幹部交番所長)警視→警視長

河瀬駅前交番警察官射殺事件

河瀬駅前交番警察官射殺事件は2018年(平成30年)4月11日夜に滋賀県彦根市南川瀬町の滋賀県彦根警察署河瀬駅前交番で発生した殺人事件。勤務中の警察官(犯行当時19歳巡査、逮捕後に懲戒免職)が貸与された拳銃で上司の警察官(事件当時41歳巡査部長)を射殺しました。

(滋賀県警察彦根警察署河瀬駅前交番)巡査部長→警部

富山市奥田交番襲撃事件

富山市奥田交番警察官殺害事件は、2018年(平成30年)6月26日に富山県富山市久方町にある富山中央警察署奥田交番で発生した警察官襲撃事件。襲撃された警察官1名、および交番近くの小学校で警備をしていた警備員1名が死亡し、被疑者も負傷しました。

(富山県警察富山中央警察署奥田交番所長)警部補→警視

平成30年7月豪雨(別称、西日本豪雨)

2018年(平成30年)6月28日から7月8日にかけて、西日本を中心に北海道や中部地方を含む全国的に広い範囲で発生した、台風7号および梅雨前線等の影響による集中豪雨です。

(広島県警察東広島警察署)警部補→警視
(広島県警呉警察署)巡査長→警部補

東仙台交番襲撃事件

東仙台交番襲撃事件は、2018年9月19日に宮城県仙台市宮城野区で発生した警察官襲撃事件。襲撃された警察官1名、および犯人1名が死亡しました。

(宮城県警察仙台東警察署東仙台交番)巡査長→警部補

関越自動車道の交通事故処理中に発生した交通死亡事故

高速道路上で発生した事故処理中に、後続車と接触した事故。新潟県警察によれば、高速隊の警察官が事故処理中の事故で殉職した事例はこれまで無かったとのことです。

(新潟県警察 高速隊 湯沢分駐隊)巡査部長→警部

中野市4人殺害事件

中野市4人殺害事件は、2023年(令和5年)5月25日に長野県中野市で発生した殺人事件。長野4人殺害事件とも呼ばれています。

男(当時31歳)が近隣に住む女性2人を刃物で刺し、通報を受けて駆けつけた長野県警察の警察官2人に猟銃で発砲。26日未明まで自宅で立てこもりを続けた後、殺人容疑で逮捕された。被害者4人はいずれも死亡しました。

(長野県警察中野警察署自動車警ら班)警部補→警視
(長野県警察中野警察署自動車警ら班)巡査部長→警部

殉職したと思い二階級特進後、生きていたら取り消された事例

このエピソードは、本田氏自身が語ったもので、二階級特進が取り消された話です。

その経緯は、太平洋戦争の激戦中、帝国海軍のエースパイロットとして名を馳せた本田稔氏(最終階級は少尉)は、ラバウルの空戦で撃墜されたと思われ、戦死と誤報されました。

その結果、彼は二階級特進の名誉を受け、家族や仲間たちは彼の遺品整理を始め、位牌も用意されました。

ところが、数日後、本田氏は奇跡的にラバウル基地に無事生還します。ただ彼の生還は、すでに戦死と報告されていた上官にとっては困惑の種でした。

上官は報告の撤回を嫌がり、本田氏を戦死の可能性の高い単独任務に就かせました。

しかし、その事実が上層部の知るところとなり、本田氏は危険な任務から解放。

そして、彼の二階級特進は取り消され、元の階級に戻されました。

参照元 ニュースポストセブン

二階級特進と退職金

定年退職とは異なり、殉職による退職では特別な補償が考慮されます。

具体的には、「死亡退職金」が支給され、その金額は勤続年数、退職時の階級、そして退職理由などにより決定されます。

特に、二階級特進後の階級で計算されるため、退職金の額は大幅に増加します。

さらに、退職理由による割増率も考慮され、職務上の殉職の場合はその割増率が大きくなります。

これにより、残された遺族への補償が十分に考慮された制度となっています。

また、殉職に対しては二階級特進だけではなく、特に功労が認められた場合「賞恤金(しょうじゅつきん)」という弔慰金が支払われます。

平時から職務の遂行に専念できるようにする観点と、負傷した本人や遺族への生活面の配慮から、二階級特進と同様の措置が定められています。

「二階級特進」の起源:日露戦争から始まった

日露戦争時、日本軍は多くの困難を乗り越え、最終的には勝利を収めました。

その中で、特に功績を挙げた将兵に対しては、一度に二つの階級を昇進するという特別な待遇が与えられました。これが、二階級特進の起源とされています。

日露戦争時の二階級特進

この制度は、特に功績を挙げた者に対する報酬として設けられ、その結果、一部の将兵は一度に二つの階級を飛び越えるという異例の昇進を達成しました。

この制度の導入は、日本軍の士気を高め、戦闘の勝利に大いに貢献したとされています。

特に、日露戦争中の1904年から1905年にかけて、この二階級特進が行われた将兵は合計で約200人に上りました。

その中には、後の昭和天皇である裕仁親王(当時)も含まれていました。

この二階級特進制度は、日本軍の組織体制や昇進システムに大きな影響を与え、その後の日本の軍事史においても重要な役割を果たしました。

旧陸軍における二階級特進の事例

旧陸軍でも、二階級特進の制度は存在していました。旧陸軍における二階級特進の制度は、戦時中の特異な状況下でのみ適用される特例でした。

この制度は、将兵が戦場での卓越した勇敢さや指導力を示した際に、その功績を公に称えるためのものでした。

二階級特進が行われると、受賞者の士気は大幅に向上し、その結果、部隊全体の士気や戦闘力も向上するという効果がありました。

この制度の適用例としては、1937年の日中戦争中における一例が挙げられます。

当時、ある陸軍中尉が敵陣深くでの奮闘を評価され、一度に二階級昇進して大尉になった事例が記録されています。

このような二階級特進は、その人物自身だけでなく、その人物が所属する部隊全体の士気を高める効果がありました。

しかし、二階級特進は極めて稀で、その適用は厳格な基準に基づいて行われました。

そのため、この待遇を受けることができた将兵は、その時代の中で最も優れた戦闘力とリーダーシップを持つ者と言えます。

海外は二階級特進があるのか?

今回は、アメリカとドイツの例を取り上げてみますが、海外では、日本のように、「二階級特進」になるような明確な決まりや事例もほとんどありませんでした。

ただ、昇進に関しては情報がありましたので、記載しておきます。

アメリカの昇進事情

アメリカ軍の昇進制度は、特に戦時において、その人物の功績や貢献度によって大きく変動することがあります。

ベトナム戦争までは、戦死者に対する死後昇進が一般的でしたが、現在ではそのようなケースは少なくなっています。

しかし、それは昇進が全くないわけではなく、生前に昇進の予定があった者や、特別な功績を残した者に対しては、死後でも昇進が行われることがあります。

例えば、ベトナム戦争中に5年間捕虜となり、その後生還したバッド・デイ元大佐は、その功績を称えられ、死後に名誉昇進が行われ、最終階級が准将に昇格しました。

また、初代大統領ジョージ・ワシントンも、陸軍中将の階級で1799年に亡くなった後、177年経った1976年に陸軍の最高位である陸軍大元帥に昇格しました。

これらの例からもわかるように、アメリカ軍では、戦死者だけでなく、生前に優れた功績を残した者に対しても、死後の名誉昇進が行われることがあります。

一方、アメリカの警察官に関しては、殉職後の昇進が一般的に行われています。これは、警察官の遺族への手当てが昇進後の階級に基づくためです。

しかし、警察は各自治体によって管理運営されているため、州や市によって昇進の基準は異なります。

また、アメリカ軍には「勲功章」という制度があり、特定の任務や功績によってこれが授与され、それによって特別な昇進が認められることもあります。

これらの制度を通じて、アメリカ軍はその人物の功績や貢献度を評価し、適切な報酬を提供しています。

第二次大戦時のドイツ軍の昇進事情

第二次世界大戦時のドイツ軍における二階級特進の制度は、特定の基準を満たす兵士に対して適用されました。

具体的には、次の月に昇進予定だった者、当局から昇進を推薦されていた者、司令官の推薦または承認によって功績が認められた者、そして本人の責任によらずに昇進が遅延していた者が対象となりました。

この法令は1941年1月に発布されましたが、ドイツがポーランドに侵攻した1939年8月26日から遡って適用されました。

これにより、戦場での勇敢な行動や指導力を発揮した兵士が二階級特進の対象となりました。

しかし、戦後のドイツではこの制度は廃止され、現在では一度に一つの階級を昇進するのが一般的となっています。

これは、戦争の終結とともに軍事的な昇進制度が社会的な昇進制度に変わったことを反映しています。

【二階級特進とは?】自衛官と警察官の29事例を紹介:まとめ

二階級特進についてと具体的な29の事例を紹介してきました。

この制度の起源は日露戦争時にあり、特に功績を挙げた将兵に対して一度に二つの階級を昇進するという特別な待遇が与えられました。

この制度は、その後の日本の軍事史においても重要な役割を果たしました。

海外の例としては、アメリカ軍やドイツ軍でも特定の功績や貢献度によって昇進が認められることがありますが、日本のような「二階級特進」に相当する明確な制度は存在しないようです。

現在の日本の公務員制度では、職務上の事故や事件により命を落とした者に対して、在職階級から二段階昇任させる制度または慣行が存在します。

この制度により、名誉の向上、叙勲、そして遺族への補償が、昇進した階級に基づいて行われます。

このように、「二階級特進」は、職務上での犠牲に対する敬意と補償を重視する日本の公務員制度の一部として、今後も守り続けられるべき制度だと言えますね。

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